つづいてヒッチコックの『鳥』(1963年)。サンフランシスコの鳥専門のペットショップで出会ったミッチを追って、新聞社社長令嬢の美女メラニーが、「愛の鳥」を持ってボデガ湾に向かう。ミッチはそこで11歳の妹キャシーと、夫に先立たれた母リディアと3人で暮らしていた。メラニーはミッチを驚かすため、わざわざ湖の反対側からボートを使って家にしのびこみ、こっそり「愛の鳥」を置いて帰ろうとする。ところが帰りのボートの上で、突然1羽のカモメが彼女に襲いかかる! 軽傷で済んだメラニーだったが、その襲撃はほんの序章にすぎなかった……。

【以下は、かなり書き換えました】


この映画でもっとも怖ろしいのは、母親のリディア(ジェシカ・タンディ)ではないでしょうか。通常のパニック映画であれば、鳥という外敵に対して、内部の人間たち(この場合4人)が一致団結して対処するのが基本だが、リディアが敵か味方かわかりかねない不穏な位置にいるために(リディア視点のシークエンスもひとつある)、この映画は「つねに何かが起こりそうだ」という緊迫感に満ちている。実際リディアは何度かヒステリックな反応を見せるのだが、時には顔がほとんど人間ではないかのようだ。(そのあと、キャシーが嘔吐する理由は、単に外敵への恐怖によるものだけではないだろう。)


このリディアの不穏さについて、それが単に「姑」による「嫁」に対する嫉妬ということであれば納得もいくし、恐怖は軽減されるのだが、作中に登場する女教師アニーによって、「あれは単なる嫉妬ではない」というふうに、その解釈はさりげなく否定される。アニーはそうやってメラニーに囁きかけることで、リディアというただの老女を複雑でミステリアスな人物に仕立て上げることに成功しているのだ。


きわめつけは、ラストシーンで傷ついたメラニーに対してリディアが投げかける、あのいかにも「人間らしい」優しい微笑であるだろう。若くて、美人で、金持ちで、人脈があり、勇気と行動力もある、つまりは圧倒的な強者であるところのメラニーが、今や自分の腕の中で傷つき、怯えて震えているということに対しての、ほとんどサディスティックな微笑(表向きはまったくそうは見えない)。もちろんあの瞬間においてリディアは、メラニーのことを心の底から慈しみ、愛していることだろう。しかしあれは、メラニーが自分より弱いからこそ可能な微笑なのだ。


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