「劇評」論(2010.4.9 ver.)


とある必要があって、目の前の仕事に取り組む隙をみて、劇評についてちらほら考えている。それについて以下に記すけども、忙しくなるとついこういうことをしてしまうのは困った性質です。とはいえ面倒なので(時間がないので)、柔らかく書くとか、優しく書くとかいったことについては現時点では一切考慮しない。それは自分にとっては本来あまり好ましいことではないのだが、とはいえメモとしてまとめることにする。おそらくこの短い論考は、劇評というものがパフォーマティブに、ある種うやむやに書かれ、消費(すらされずに流)されていく、ということに対する一種の抵抗の狼煙であり、プロトタイプである。

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「アッサンブラージュ→新しい公共」のためのメモ。


エクス・ポ」次号掲載予定の野村政之さん(@nomuramss)との企画のためのメモ。意外と読めない大きさ……。しかしとりあえず進めます。野村さんにはあとでメールで写真を送ります。






まずコメントとして、自分は手書きの文字を晒すことに抵抗があるということに気づいた(書く直前の段階)。でも書いてしまった今となってはどっちでもいい。たぶん、一度「恥ずかしい」と感じることが儀式として通過されたので満足したのだろう。それに今となっては、全然自分が書いた気がしない。どこかのコビトがやってきて書き込んで去っていったのだと思うことにする。


A面は主に手法について。B面はテーマについて。テーマは「アッサンブラージュ新しい公共」で、「新しい公共」という言葉が多分に誤解を含みそうだけど、とりあえずはワーキングタイトルとする。以前、2ヶ月ほど前に野村さんと喋った音源(2010年2月1日@駒場東大前喫茶イーグル)があり、それを再生して(巻き戻しはせず)一回でメモを取った。基本的に紙片の中央から書き始め、時計回りの螺旋状を描くようにしてメモを書き込んでいった。


当初の想定では、音源を聴きながら全然違うことを書いていく、と考えていたけれども、実際にはほとんど喋られてることを書き留める行為に終始してしまった。そのうえで、多少、喋られていないことを付け足したりもした。例えばB面の右下にある「東京半島」という言葉は完全なオリジナルである。あと疲れて話を追うのが面倒くさくなった時は、猫とかビールの絵を描いたりした。


音源の途切れるところで、短い休憩を2回入れた。なおひとり自室でメモをとり、そのあいだiPhoneの電源も切っておいた。音源を聴くためにPCは起動していたものの、ネットには接続していない。


平面上に言葉を配置していく作業は、普段意識してやらないので興味深かった。そして、意外なところが矢印で繋がったりした。この「矢印」の存在が大きい気がする。矢印を引くということがこの作業においての要だった。




野村さんは独特の言葉遣いをしていた。「ゆがまり方」とか「唇寒い」とか「ぼさっと」とか。「風船」や「台風」や「枝葉と幹」とかいった抽象的な例え話も多い。その中で面白かったのは、鰰[hatahata]の公演になぞらえた、「Aプロ/Bプロ/Cプロ」という概念で、「Aプロ=ある厚みを持った作品」「Bプロ=軽快な流動性を持った、作品周辺に染み出した動き」と仮に設定すると、「Cプロ=わけのわからない単発的なスピンオフ」ということになる。この「Cプロ」的なものの可能性を自分としては考えてみたい。


で、様々な枝葉というか、話の種のようなものはあらゆる場所に配置されていて、どんなふうにもここから話を拡げていくことはできそうである。ただし、ここからかりそめのゴールを設定して話をしたとしても、あくまでもそのゴールは「かりそめ」にすぎない気がする。そこにはなんら切実なものはない。なので、目指すところとしてはテーマ的な仮のゴールというよりも、いちおうのゴールは設定しつつ、これらの抽象的な言葉のメモを、より具体的な現実の様々なマテリアル(ファクター)に結びつけていくということをやってみたい。特に自分はこの2ヶ月のあいだに様々なお芝居を観たし、野村さんもその後ままごと「スイングバイ」のドラマトゥルグをやったり、鰰[hatahata]の夜通し歩く企画に加わったりもしているので、できるだけそうした現実に起こった出来事、あるいは起こりうる出来事、起こったかもしれないけど起こってないかもしれない幻視された出来事、全然起こりそうもない出来事……といったものと結びつけていきたいと思っている。


最後になるけどやっぱり「野村さん」という言い方は他人行儀でちょっと無理かも。


 

上京20年。


気づいたら東京に出てきてちょうど20年経った。正確な日付は覚えてないけど、中学上京と同時だったので、入学式の数日前じゃないだろか。


20年もあれば東京についてさすがに何か語ってもいい気がするけど、実際には語ることはほとんどない、というか不可能だと思う。上京体験というものが他の人と圧倒的にズレているので、語りとして(自伝でもないかぎり)成立しそうにない。そして自伝なんて書くわけもない。どうも自分が「共感」とか苦手なのは、そのあたりに原因があるのかもしれない。10代の頃の体験というものが、一般の中高生とあまりに違いすぎるというか。もちろん、それぞれの中高生は個別の体験を持っているはずだけど、「ティーン」とか「10代」とか「中学生高校生」とか言葉はなんでもいいけどとにかくそういう形で一般論化して(クリシェとして)提示されてくるものに関してはほとんど通じるところがない。おそらく、その期間に感じたであろう抑圧の質もずいぶん違っているだろうと思われる(まず親がいないし)。


なので自分には基本的に現代ふうの自意識をもった人たちのことがよくわからない。ただし観察はするので、その行動や物語られる話から推測して、こんなふうに自我が形成されてきたのだろうな、と自分なりの「自意識像」を編み上げることはできる。そこに何らかの喜怒哀楽が生じていることも理解はできる。でもそんな想像力は何の役にも立たない(と思う)ので、普段は「共感」のスイッチを切っている。自意識にまみれた現代の東京人とそのナイーヴさにはほとんど興味がない。他人についてはただ眺めるだけでよくて、その造形(美醜)や熱量や質感といったもののほうがはるかに信じられる気がする。あとはその人の精神の強度とか。




それにしても、東京はだいぶ腐敗が進んでるな、という感覚は近頃あって、それは「HB」の6号の東京特集でリリー・フランキーの「東京の事を考えると鬱になる」というインタビュー記事を読んだせいかもしれなくて、実際問題、東京のことを考えるとたしかに鬱になる。なかなかここは病理的な世界だと思う。自分が東京に出てきた頃に比べれば水道水も美味しくなったし、様々な局面でエコ化も進んでるけど、やっぱりどこか根っこの部分が腐っていてその上をいくら綺麗にしてもこれはダメだという感じが拭えない。近頃はその腐った土壌に慣れてしまっていたというか、必死にそこで生きてきたので考える余裕もなかったし今も実際余裕はまるでないのだけど、精神的にはこの腐敗に気づくだけの心の余裕は持っていたい。


だから、その東京でモノを作ってしまうことの異常さを考える時、ある種の作家たちが東京を離れてその近郊に拠点を持ち、それらの土地でクリエイションを試みているのもなんとなくわからないでもない。ツイッターをはじめネットにしても、ほんとは無限に世界を拡げてくれるというかどこにでも行けるはずのものだけど、実際には惰性で使っていると「ザ・東京」を補完するものでしかなくなる。どんどんいくらでも閉塞するRT地獄にわらわらと取り囲まれる。それはいかにも東京的な亡者であって、別にそれによって直接的に儲かるとか利益が発生するわけでなくても東京人はついゾンビになってみずから東京に奉仕する。


だからここらで、ちょっと東京に反逆してみたい。


昨日、取材で武蔵小金井に行った。果たしてここが東京か、というと、行政的区分としてはそうだけど自分には東京と感じられない。住んでいる人たちも東京という意識は持ってないんじゃないかと思うくらいで。いや知らないけど。あそこはあくまで武蔵小金井であって、東京ではない。この話は、今ちょっと書きあぐねている某ミニコミ誌の原稿に書くかもしれないのでこのへんにするけど、でもなんかよかったのだ、武蔵小金井


今住んでるところは、地理的にはどう考えても東京だけど、自分的には東京という感じはしない。隠れ家的な感じがあって、それは部屋もそうだけど、周辺の町もちょっとそんな隠れ家的な雰囲気を持っている。町を歩いていても誰も知り合いに会わないのがいい(もちろんご近所さんには会うこともある)。ここから東京を食い破ってみる。



 

無縁社会。


昨日ひさしぶりに下北沢に行って、お芝居を観た帰りにおでん屋で知人と一杯やったのだけどすでに下北沢が過去の、故郷のようである懐かしい、親しみのある、安心できる町に感じられてそれってどうなのかと反省はしてみる。下北沢から歩いて帰れる東松原という町で数年間、友人たちと一軒家を借りて共同生活をしていたのだ。あの家はどーなるのだろうな。昨日観た箱庭円舞曲の「とりあえず寝る女」の当日パンフレットに作・演出の古川氏が「引っ越したら家は死ぬと思う」みたいなことを書いてて、そうかもしれないと思ったけど今も下北沢にはたくさんの人の生活が日々あるわけで、当然町はまだ生きている。


その数年間の生活は躁と鬱に包まれていた、なんか薄い膜のようなものとして。今住んでいる町、あるいは家にはそんなような膜がない。おそらく必要ないのだろう今のところ、ここはとても静かである。今日のように雨の日は通りを走る車が水飛沫を飛ばすしゃーしゃーという音が聞こえてはくるけど、電話にも出ないしツイッターもメールも見ませんてことにすれば誰にも妨げられず世界と無縁になれる。たとえそれが一時的なものであれ。



NHKで「無縁社会」という特集番組をやっていた。自分は無縁社会をさほど恐ろしいと思わないし、むしろどこか歓迎するようなところもある。中学の頃、一人暮らしをはじめた時はさすがにホームシックで寂しかったけど、それも慣れてしまう。それに孤独というものは、実はそんなに荒廃した、砂漠のようなものでもない気がする。そこでもちゃんと草花は育つ。


正直なところ、人が、どうしてそこまでコミュニケーションを求めたがるのか、自分にはわからない。それはあなたが恵まれているからだ、とゆう指摘もどこかピントはずれのような気がする。そんなにまでして求めなければならないものなのか、それは。



この今の新しい部屋への期待は、ただ世の中とは無縁の静かな時間を提供してほしいということで、それで時々パソコンを開いて仕事をして、本を読んだり、町へ出てお芝居観たり買い物したりで、たまに誰かとお酒を飲んで、ささやかに暮らしていければ充分満足だ。しかし世の中はもう少しばかり複雑にできている。あらゆることはせずにすめばありがたい、と思う反面、ある時代を生きるということはいやおうなくその時代の空気に呑み込まれていくということでもある。その空気とか波とか風のようなものを拒絶しようとは思わなくて、というかそこと無縁になるのは難しくて、ただ問われるのは、そこでの立ち方、泳ぎ方のようなものだと感じてる。


調整のためになんとなく書いてみた。さて。


 
 

あえて〈孤独〉であるための読書フェア


ジュンク堂書店新宿店7Fで「あえて〈孤独〉であるための読書フェア」を開催しております。仲正昌樹さんの『〈リア充〉幻想』と『教養主義復権論』の刊行記念でもありまして、選者として仲正さんのほか『教養主義〜』で聞き手を務めた白井聡、浜野喬士、大澤聡、それから『リア充〜』で取材担当をしてくれた池田鮎美、それに(にぎやかしで)藤原が参加しています。4月末まで開催の予定。新宿三越の上です。エレベーターでどうぞ。お隣の棚ではディアスポラ文学フェアもやってます。


ポップも徐々に充実していきますがこれは構築中。選書については現代小説などなども候補としてリストアップはしたものの、同じジュンク堂で「文学拡張大作戦フェア」もやってるので今回はそのあたりを入れず、結果的にわりとクラシックな雰囲気で統一しました。(もちろん変化球も織り交ぜています)


教養主義〜』の3人はほぼ同い年(77〜78年生まれ)で、それぞれ得意な専門分野を持った気鋭の研究者です。彼らの手よって新しい人文知が形成されてくるんじゃないかと密かに期待しています。もしかするとこれも単なる「フェア」だけで終わる企画ではないかも(?)。ぜひそのあたりにもご注目ください。